
いつもげんき
by norico-rinicof
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go近所
□ 初日の出を見に行きました。湯ノ山温泉の○○荘の駐車場から見ました。
□ 父は言い切った。ズワイガニはエビ!!
母と苦笑い。
弟に真相を確かめると「ヤドカリやったかな。エビではなかったとおもう。」
とにかく、ズワイガニはカニじゃないらしい。
□ ユニクロの2,900円くらいだったジャンパー(?)が重宝しています。
軽いしあったかいし、安くて汚れも平気なので、室内でも脱げません。
母「そのナイキのジャンバーあったかそうやんか」
私「え?これユニクロやで」
母「なんでか、ナイキのマークついとるやんか」
私「うそやんっっ!?」
と慌てて胸元を見ると、夕食に食べた鰆の塩焼きの食べこぼしが、ちょうどナイキのあの「シュッ」ってなったマークかのように、くっついているではありませんか。
魚を胸元につけている私も私、老眼で魚とナイキのマークの刺繍と見間違える母も母。
初呆れ。ダブル呆れ。
□ 5連休の後の出勤は辛いっす。でも明日また土日。ペースつかめず。
平成19年も色んな人のおかげさまで、ほんとうにおかげさまで。
色々あって楽しく過ごすことができたと思っています。
色んなこと忘れないようにこの日記をつけようと思っていますが、
「忘れないように!」と思うことさえ忘れているくらい、仕事も私生活も、その日その日、目の前のこと、目の前の人だけを、ただ見つめてやってきたように思います。
それがいいのか悪いのか、それは置いといて。
思い込むこと結構必要で、疑っているとことが進みません。
この仕事が必要!
この時間も大事!
ここがいい!
これならきっと喜んでもらえる!
今、私が役に立てる!
何か成すときに、わがままなこの思い込みが、意外と必要なのかもしれないと、
今年の終わりの日に、そう考えています。
私が何かを成したとき、疑いながらもそうすることが多いけど、
迷ったり、不安になったら、こんな風に思い込むしかないなと。
でも、甘ったれたわがままな私の思い込みを、周りの人たちが許してくれているおかげで、
色々今年もやってこられました。
とにかく感謝したいと思います。
来年もいろんな人にお世話かけながら、それでも楽しくやっていけたらと思います。
まだまだ後処理は続くけど、なんとか今年もようやくシーズンオフに。
溜め込んだ仕事をせなあかんなぁ。やれやれ。
でもこれで自分の時間も、できてくるだろう。
ふゆを迎える準備をしよう。(タイヤとかコタツとか洋服とか)
□プリッツ復刻版(Yセンター長が、パッケージの女の子が私に似ているからと買ってきてくれた)
□アイポッドナノ(26歳の誕生日に…)
□誕生日カード(同期の3人から)
□はがきとてがみ(誕生日にKとEちゃんから)
□みうらじゅんの本(もちろんHから)
□湯たんぽ(姉が結婚して、なぜかくれた。なかなか重宝しています。)
□さつまいも(デイサービスの利用者にもらった。大きさは抜群。)
□みかん(訪問先でおじいさんにもらった大量)
□てづくりパン(最近パン作りにはまっている職場の先輩Sさんにもらった)
□お香(Rちゃんからセンスをもらった)
□本(『人生のちょっとした煩い』)
□CD(スパングルコールリリーラインのアルバム)
□久しぶりな友人からのメール
□トートバック(京都の本屋さんの、私がうらやましがったから)
贈り物はそこに込められた気持ちがどんなものであれとても大切で、
だから繁忙期(10月後半~)に頂いたものを書き留めてみた。
どれも仕事にへし折られそうな時に私を癒してくれました。
ほんとうにありがたかった。
きちんと丁寧に「ありがとう」と言えていたかな。それが心配。
仕事をひとつ終えたので、
先週お招き頂いた、Uりんの結婚式の写真を見て、
とても幸せな気分になり、
コーヒーを入れて、もう一回見ました。
みんな幸せそう。
とても笑っている!
結婚式はとてもいい!
ほんとうにいい!
Uりんありがとう、メッセージもほんとうにありがとう。
心にしっかりと留めておきます。
でも、どうか縁起が悪いと思わないで下さい。
13日に結婚式に行き、16日にお葬式に行きました。
老人ホームに長年出入りしてくれていた音楽ボランティアで
アコーディオン担当のIさんのお葬式でした。
彼に最後に会ったのは10月3日で、いつものように、細い身体で玄関から音もなくリハビリルームに入っていきました。
利用者とボランティアさんが自由に歌って楽しむ音楽の会で、Iさんは利用者のリクエストに応えて、たいていの曲は伴奏していました。
音楽ボラのグループは、もう長年この老人ホームに出入りしているので、活動に職員がタッチすることは、ほぼありません。
私は何かあったときに、担当として仲介する役割です。
この日は、たまたまデイサービスに初めてきていたAさんというおばあさんが私は気になっていて、様子を見に行くと、案の定、Aさんは初めての場所で不安そうにしていました。
私は調査にAさん家に行った日に、千昌夫の話題でAさんと盛り上がったのを思い出して、音楽ボランティアがきているからと、リハビリルームにAさんを誘って一緒にいきました。
久しぶりに、活動中のボランティアさんや利用者の様子をみて、みんなの生き生き歌う姿がとても、ほほえましく思いました。
最後にAさんと私が千昌男の曲をリクエストしました。
Iさんの伴奏が、どんどん乱れていきました。
いつもなら千昌男くらい、さらっと弾いてくれます。
おかしいなと思ったけど、同時にIさんの右足にだいぶむくみがあることも気になりました。
それが最後のIさんの活動でした。
1週間と少し経ち、Iさんはガンの再発でなくなりました。
安らかな最期だったようです。
施設長と二人でお葬式にいきました。
責任感の強かったIさんは、最後の最後まで、「施設には自分を待ってる人がいるから」と、
力を振絞ってボランティアに来てくれていたのだと、ご長男から聞きました。
確かに、本当にうちの利用者は、音楽ボランティアのIさんを尊敬していて、
月に2回の音楽の日を、心待ちにしていたのです、ほんとうに。
最後の千昌夫の曲を乱れながらも、終わりまで弾ききってくれたことを思い出します。
特にAさんは、それまでの不安そうな顔はどこへ行ったのか、「私千昌夫ってゆう歌手のフアンなのよ~」と、とても素敵な笑顔で歌っていました。
Iさんは、見ててくれたかな、Aさんの笑顔。
お葬式では、80歳を超える大往生にも関わらず、Iさんのことを想って泣く人が多く、
私も涙が出てしまいました。
でも、こうして、子供や孫たち、Iさんに関わったいろいろな人に見送られて、Iさんは最高に幸せな瞬間を迎えたのかもしれないと、私は思ったのです。
まるで、最愛のパートナーとの門出をみんなに祝われたUりんと同じ様に。
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